コンビニ人間を読んで。【書評】
「同調圧力」について考えさせられた小説だった。
「普通こうでしょ。」的な。
大学生である今は、ほとんど感じることはない。
「同調圧力」
誰もが感じたことがあり、感じさせたことがあると思う。
むわっとした、心地よくない感覚。
だから、できるだけ、「同調圧力」の存在には向き合わず、すり抜けてきた。
けれども、この小説では主人公が、普通というものに終始向き合う。
読んでいて苦しかった。読みながら、小説の中での自分の立ち位置を探らざるを得なかったから。
一度読んだだけで、重たさを感じた。著者がどれほど「普通」と向き合ったのか。それを考えると恐ろしかった。
みなさんは、無意識に「普通」という言葉を使うとき、どういう意味で使っていますか?
パッと思い浮かんだのは・・・
*(自分の生きている世界の中での)多数派の意見=普通
*(自分が生きている世界の中にいる)大人の意見=普通
*(自分が生きている世界にいる)尊敬できる人の意見=普通
こんな感じ。
私は同調圧力と向き合っていけるほど強くない。もし、世界が同調圧力にあふれていたとしても、「同調圧力」の存在に気づかないふりをしながら生きていきたい。